2012年8月 我孫子登山倶楽部
巻機山ボランテイア活動は、我孫子登山倶楽部創立20周年行事であった利根川流域の山の完登記念として始まった。
巻機山は日本百名山としても有名な山であるが、その山は利根川源流とされる大水上山を頂点とする源流トライアングル地帯にあり、そこに降った雨の一滴が大関東平野を潤しているのである。
そんな大河利根川が我孫子市の北側を、悠々と東流して太平洋に注いでいる。
古より坂東の歴史を育み、水害という試練を与えながらも我孫子市内の古利根や手賀沼などの美しい自然風景を多く残し、今なお私達の生活に深く密着している。
市内より見える山といえば筑波山や、空気の澄んだ日に遠望される富士山位であるが、利根川を遡れば栃木県・埼玉県・群馬県・上越国境の流域に自然の山域が豊富に広がっている。
それが利根川流域の山への取り組みのきっかけであった。
20周年行事である「利根川流域の山百山」の登頂も先が見えてきた頃、何か記念になる山行、それも多くの会員が参加し易い山行を模索していた。
私たちに楽しみや癒しを与えてくれるのは「山や自然」である。
登るたびに新鮮さ・歓びを与えてくれる山もあるが、自然崩壊や無残に捨てられたゴミなどで歓びも半減してしまう山も多くなってきた。
それであれば、登山道のゴミ拾いや登山道整備で、山や自然に恩返しをする活動は出来ないか・・・
そんな折りに巻機山の頂上周辺の崩壊が進んでいること、ボランテイア活動があることを知った。
山域や難易度、継続性などを検討の結果、巻機山の「植生復元・登山道整備活動」が選ばれたのである。
その後も利根川流域の山をホームグランドとして継続しているので、我孫子登山倶楽部の活動として最適の山であった。
そこでは社団法人日本ナショナル・トラスト協会主催で同協会の植田氏やボランテイア活動家の松本清氏、東京農業大学の研究室や麻生恵教授などが活動していたが、組織として大人数での参加は少なかったので、我孫子登山倶楽部はボランテイアの大きな戦力となった。
その後17年が経過、一度だけ台風襲来で中止になった以外は毎年実施している。
最初これほど継続するとは思っていなかったが、巻機山ボランテイアは一度参加すると次年も参加するという病みつきになるのだ。
雨に打たれて悲惨な山行も多かったが、参加したことで大きな満足感を必ず得ることが出来るのである。
記録を調べてみると、最多の参加者は17回の実施で15回も参加しているという。
これは手弁当で遠く千葉県より参加するボランテイア活動という美談だけでなく、本人にも満足感を与えてきたことと思う。
長期間ボランテイアに参加できたのは地元の支援、
特に宿泊や休憩にて多大なお世話をいただいた巻機山登山の宿「やまご」に、深くお礼申し上げます。
<参考資料>
・作業風景 2011年
・蘇る巻機山の自然
・これまでの活動内容