更新日:2012年 8月28日        
巻機山 景観保全 ボランテイア活動
                     2012年8月 我孫子登山倶楽部
巻機山ボランテイア活動は、我孫子登山倶楽部創立20周年行事であった利根川流域の山の完登記念として始まった。
巻機山は日本百名山としても有名な山であるが、その山は利根川源流とされる大水上山を頂点とする源流トライアングル地帯にあり、そこに降った雨の一滴が大関東平野を潤しているのである。
続き              右図の写真をクリックすると、拡大表示されます。
その後17年が経過、一度だけ台風襲来で中止になった以外は毎年実施している。
最初これほど継続するとは思っていなかったが、巻機山ボランテイアは一度参加すると次年も参加するという病みつきになるのだ。
雨に打たれて悲惨な山行も多かったが、参加したことで大きな満足感を必ず得ることが出来るのである。
記録を調べてみると、最多の参加者は17回の実施で15回も参加しているという。
これは手弁当で遠く千葉県より参加するボランテイア活動という美談だけでなく、本人にも満足感を与えてきたことと思う。

1.神々の住む巻機山に
2.我孫子登山倶楽部の活動
3.巻機山景観保全活動に至るまで
4.朝日森林文化賞を受ける
5.これからの巻機山との関わり方

6.環境保護活動
7.関連写真
    2000年山行   2007年山行   2009年山行   2010年山行   2011年山行   2012年山行
8.「よみがえれ! 巻機山の自然」HPの案内

1.神々の住む巻機山に TOP

 巻機山(1967m)が、神々が住むにふさわしい柔らかくやさしい表情を少しずつみせてきた。
裸地化が少しずつ減少し、ヤチカワズスゲやヌマガヤ等の湿地性植物に覆われてきたのだ。
そして、全山がまるで緑のじゅうたんを敷き詰めたような姿は、一度訪れた者の心をとらえて離さない。

 その陰には、巻機山景観保全ボランティアーズの皆さんによる20年来の活動が、少しずつ、そう、まさに少しずつ実を結んできたのである。
人間が自然に対して犯した過ちを償うべく、自然を科学的・客観的にみながら自然のタイムスケジュールにあわせつつ修復してきたことが、今、巻機山が受け入れてくれたということだろう。
巻機山より上でも下でもない、同等であるということに人がやっと気づいてきたからなのである。

 5年前から、巻機景観保全活動に我孫子登山県楽部は積極的に参加してきた。
山登りをする者の一人一人が、自然豊な山に登りたい・触れたいという気持ちがそうさせてきたのである。
一方で、山を傷つけてきたのも自分たちであることも解ってきた。
もう批判者や傍観者であることは許されなくなってきたのである。
傷ついた山には手をさしのべ治療しなければならない。その一人の主体者、責任者として、我孫子登山倶楽部が腰を上げたのだった。

我孫子登山倶楽部の過去5年間の巻機山への関わりかたを振り返ってみよう。


2.我孫子登山倶楽部の活動 TOP
 月 日人数作業備考
1H78/26〜2719荷揚げ、種子採取、播種 
2H88/31〜9/131種子採取、播種山渓の大畑さん随行
3H98/30〜3121荷揚げ、コモ掛け 
 H10台風のため中止0  
4H118/28〜2919種子採取、水運び 
5H128/26〜2715種子採取、丸太運び 
6H138/25〜2616木道整備、種子採取 
7H148/24〜259登山道ロープ張り、種子採取 
8H158/23〜2421土留め、種子採取野の花館に寄る 雲洞庵見学
9H168/21〜2210丸太移動、種子採取 
10H178/27〜2812丸太運び、種子採取 
11H188/26〜279種子採取 
12H198/18〜1914種子採取 
13H208/23〜2415悪天のため作業出来ず 
14H218/22〜2318ネット掛け、種子採取、播種民宿組:坂戸山、雲洞庵
15H228/21〜2211ネット掛け、種子採取、播種 
16H238/19〜2119ネット掛け、種子採取、播種野の花館に寄る 
17H248/18〜1918ネット掛け、種子採取、播種民宿組:坂戸山、雲洞庵

 18回計画されたが、4回目は台風のため中止になった。
従って、17回の延べ参加者は277名、延べ日数は34日間、費用は、テント組・民宿組を平均して2万円とするとおよそ554万円が投入されたことになる。
「去年植えたヤチカワズスゲがどのくらい芽をだしているか、確かめたくて。」「少しずつ良くなっている姿をみると、うれしくなるよなあ。」バスの中で他愛ない会話が飛び交う。
が、それは巻機山の地に足をつけ手を泥で汚した者の言葉であり、希望であり、夢であった。
すすんで行った作業を通して、巻機山が私たちにお土産として応えてくれたお礼の言葉でもあった。
巻機山が手をさしのべた瞬間である。
我孫子登山娯楽部の年間計画の中にしっかりと位置ずけられ、ここまで巻機山景観保全活動を持続してきたことは会員の絶大なる理解と協力があったからこそである。
が、ここまでたどり着くためには様々な準備段階があったことを忘れてはなるまい。
では、そのあしあとを振り返ってみたい。


3.巻機山景観保全活動に至るまで TOP

(1)自然保護学習会
  山に登る者にとって、山は限りなく自然のままであって欲しい。ゴミは見たくない。林道なんか歩きたくない。でも、荷物になるゴミは捨てたいし、登山口までは楽をして行きたい。きれいな花を求めつつ、疲れるとお花畑でもどこでもあの重い登山靴で踏み荒らしてしまう。そんな矛盾を感じているのは一人ではなかった。
登山と自然の視野を広め・深めるためにいくつか学習会や講演会、クリーン活動を企画した。

   第1回  1994年(平6)2月19日
     「生態循環と水循環」
第2回  1995年(平7)2月4日
     「登山と自然」
第3回  1999年(平11)10月23日
     「山よ、よみがえれ、景観保全ボランテイァ−ズ」

(2)古利根沼クリーン活動
日時・ 参加人数
   第1回  1994年(平6)10月22日 4〜5人
   第2回  1995年(平7)10月14日  9人
   第3回  1996年(平8)10月12日  2人
   第4回  1997年(平9)10月25日  13人
   第5回  1998年(平10)6月14日  10人
   第6回  1998年(平10)10月24日  5人
   第7回  1999年(平11)6月13日  12人
   第8回  1999年(平11)10月23日  5人


(3)巻機山景観保全ボランティア山行
 当時のリーダーであった人の話しによると、
「1994年に古利根沼クリーン活動に参加した後、このような活動を山でも広げられないかと思い始めた。その後、1995年『山渓』で、巻機山景観保全ボランティア活動の記事を読み、直接日本ナショナルトラストに電話をしたら資料が送られてきた。そして、1995年8月26〜27日に参加したのが始まりである。」
とのことであった。
 その後の活動については、先の表にまとめたとおりである。
 また、巻機山は本会員の人気の山で、例会.個人などのかたちで今までに10回以上も登られていることを付け加えておく。
 山を愛する心がこのような活動を導きだし、自分たちの背の高さで考えることが持続してきた秘訣ではないだろうか。
 巻機山景観保全ボランティア活動は、朝日森林文化賞を受賞し、その授賞式に参加できるチャンスを我孫子登山倶楽部は得たのだった。


4.朝日森林文化賞を受ける TOP

 この賞は、朝日新聞社・森林文化協会が主催で、「自然を守り、緑の生活環境づくりに優れた活動をしている人々を顕彰する」もので、今回は15回目、4団体1氏が表彰された。
 巻機山景観保全ボランティアーズの受賞理由は、「登山者が破壊した雪田植生と池塘を20年かけて復元」である。
 授賞式に参加した当時の会長が報告文を「あしあと」(205号)に掲載している。大変参考になると思われるので、ここに全文を、原文のまま載せたい。
巻機山景観保全ポランティアーズ授賞式報告
 我孫子登山娯楽部が平成7年より参加している(財)日本ナショナルトラストが行っている巻機山景観保全ボランティア活動が、6月26日、朝日森林文化賞を受賞したとの発表があり、翌日朝日新聞社での授賞式に、ボランィアーズの一団体として出席しました。
授賞式の後、巻機山景観保全ボランティアーズの関係者による祝賀会があり、当娯楽部からも4名参加しました。
出席者は主に東京農業大学の麻生助教授が主軸になっている関係上、東京農大学生、OB、が大半を占め、他に日本ナショナルトラスト協会の理事、山と渓谷社の編集長、新潟県のポランティア団体等などの顔ぶれでした。
祝賀会の中で色々と話しがありましたが、この出席者の人たちは登山に興味がある訳ではなく、純然たるボランティア活動として巻機山保全に加されているということでした。
登山を趣味としている私たちは大変肩身の狭い思いをしました。
実際の所、巻機山に限らず登山者による登山道の崩壊が進んでいる所を歩いた事は皆さんがよく知っている事ですが、登山道を荒らす、壊すという行為は登山者がほとんどという現実をこの度強く感じました。
今までは当会のボランティア活動としてとりあえず参加をしていた所もありますが、これを契機にもう少し真面目に取り組んでいくよう努力をする事が必要と思います。
 自然の素晴らしさを楽しませてもらっている事の代償として、私共にできる事なら少しでも役に立てればという考えを登山者は持つべきだと思います。
 ともあれ、この授賞式祝賀会で複雑な気持ちになったのはだけではないようです。

平成9年7月1日

 一読して、なにを感じるだろうか。
ここで問題提起されていることを、登山者の一人としてそれぞれが十分に考えておく必要があるのではないだろうか。
それでは今までの活動を振り返り、今後、我孫子登山倶楽部は巻機山とどのような関わりを模索していけばいいのだろうか。


5.これからの巻機山との関わり方 TOP

@山を守るということは
 我孫子市に古利根沼があることは先にも触れた。この沼をたぐれば利根川という大河があり、さらに遡ると山々に行き着いてしまう。
山々は深い森林に覆われ、そこに降った雨は一滴の水となり、小川となり、沢となり、たくさんの支流を集めながら大河となって、海へ海へと向かって行く。
 海へ向かいつつ、川の水は様々な形で途心下車をしながらたくさんの生命を育てているのだ。
飲料水として人々の喉の渇きを潤し、魚や米・野菜を育て、工場にもたくさんの水を送っている。
空気をきれいにしたり、気候を和らげたりしながら、交通の要の働きもしている。
たくさんの魚を育てる海は、まるで巨大な食料生産工場のようである。

 大事なことは、人間だけが恩恵を受けているのではないとういことだ。
地球が誕生して45億年、そして、生命が誕生し35億年の歳月の結果、生物は数千万極にも分化してきた。
人間という生物は、その中の一種にすぎない。そして、生物の種はそれぞれのくらし方やバランスで共存しているのである。
バランスは生態系であり、地球そのものが大きな生態系である。共に生きようとしない者は生態系を壊し、自らの命も絶つことになる。
 この生態系を維持し・潤しているのが水である。水は豊かな森林の中で貯えられる。貯えられた水は少しずつ下流に流し、万物の生命を育てているのである。
 だから、山々には豊な森林が必要不可欠なのである。山の裸地化を防ぐ意義はここにある。
巻機山保全という小さな活動は、地球という生態系の保全活動でもある。

 この認識を共通の土台として、では、どのようにして巻機山とつきあっていけばいいのだろうか。

A巻機山とのつきあい方
 できるところから、継続して、楽しみながらやりましょう。なかなかうまくいかないことが、山を見る目を深めてくれることでしょう。
人間の目の高さをちょっとそばに置いて、いろいろな生き物の目の高さに合わせてみましょう。
きっと、ビックリする世界に出会えることでしょう。
   [1]テントサイト近くでの楽しみ方
     高山植物、野鳥観察、天体観望、沢の源流探検、テントサイト付近の裸地化防止、
     トイレ環境の整備と美化、池塘の分布調べと生き物調査、
   [2]井戸尾根登山を疲れず、百倍楽しむ方法
     登山道付近の動植物の観察(ミニガイドブックを作る)、一句ひねりながら登る、動物の熊認べ、
   [3]民宿周辺で自然満喫
     登川での川遊び・釣り・カヌー遊び、清水部落歴史ウオッチング、昆虫観察、
   [4]近くの山ハイキング
     威守松山(1214m)、無黒山(1049m)、清水峠(1440m)のハイキング、山菜探し、野鳥観察
   [5]カメラウオッチング
      カメラとともに、活動の記録をとっておくと、後で楽しみが倍増しそうです。

 一例をあげたが、巻機山保全活動を持続することによって、これらの活動の展望が見えてくるはずだ。

 <他人事から自分事へ><下請けから元請けへ>への関わりかたの転換が、そろそろ求められているのではないだろうか。
それは、<登る―登られる>関係の見直しでもある。そうして、巻機山と共に学び・生かされていることを、喜びと感じることではないだろうか。
 巻機山は、我孫子登山倶楽部を育てているのだ。
   井戸尾根に一九のザック揺れており
   今年も来たり我孫子の岳人
   竜王の他に浮かぶ巻機は
   幾千年の地球を見ており
   巻機にヤチカワズスゲ育ちおり
   我孫子の山は人をも育て
   旅篭やでソバ・ウド・コゴミほうばれば
   幼き日々の山河思えり

以上